なんとなく偉そうな雰囲気が伴いながらもどんな仕事をする人なのか非常に曖昧な、「プロデューサー」について少し考えてみたい。
1. 一般的な日本におけるプロデューサーの肩書きを持っている人
プロジェクト全体をまとめる人。ゲームディレクターはゲームの開発を統括するのに対し、ゲームプロデューサーはビジネス面やプロジェクトに関わる様々な細かい部分も監督する。開発に口を出す人もいれば、わりとディレクターに任せっぱなしで放任主義の人もいる。たまーに名前は「XXプロデューサー」と名乗っているけど何もしてない人もいる(偉い人に多い)。
2. 一般的なアメリカにおけるプロデューサーの肩書きを持っている人
ゲームディレクターの元で、ゲームの各機能ごとの開発ラインを監督するいわゆる「ラインプロデューサー」を指すことが多い。通常ビジネス面はそれに特化した別の「ビジネスディレクター」なり「プロジェクトマネージャー」がいて、基本的にプロデューサーはビジネス面には全く関わらない。ただしこれは会社にもよるし、日本のプロデューサーの意味に近いプロデューサーも中にはいる。
以前USCで映画の授業を受けていた際、教授は「最近は本当のプロデューサーと呼べる人がほとんどいなくなった」と話していた。ではそもそも「本当のプロデューサー」とは、なんなのか?教授の話を元にして勝手に定義してみる。
[プロデューサーの定義]:プロジェクトの意思そのもの。自分のアイデアを具現化するため、企画を立て、資金を集め、人を集め、プロジェクトの成功に必要なもの一式を用意し、プロジェクトを成功に導く人のこと。
最近はプロデューサーという肩書きを日本で持っていても、すでに内容が決まっているプロジェクトをやらされる、自由度の低いプロデューサーが多いのではないだろうか。
個人的に尊敬するのは、ゲームでは「ヘビーレイン」、「人喰いの大鷲トリコ」などの商業的に成立しにくいジャンルかつ、続編でないタイトルを完成に導いたプロデューサーである。まず間違いなく、プロジェクト単体で見ると赤字だろう。しかしながら、このような計算しにくい企画を周囲を説得して通し、必要な資金とリソースを集め、作品として最後の最後までプロジェクトを遂行し完成させたのは驚嘆に値する。ゴールをどこにおいているかにもよるが、自分の理想を具現化することが目的であれば、赤字であってもプロデューサーとしては成功だと思う。もちろん、上記2つのケースの場合資金を出したソニーの寛容さによるところも大きいが。
映画でいうと、レジェンダリー・ピクチャーズの創業者であるトーマス・タル。資金調達に優れたプロデューサーの好例である。プライベートエクイティ出身の彼は、高騰する映画制作費用を分担するところに需要がある、と自分の理論だけを元に500億円もの資金をゼロから集め、映画業界の経験がないにも関わらず短期間でワーナー・ブラザーズと20本以上の映画のディールを決め、歴史に名を残すプロデューサーの一人となった。
伝説のプロデューサーとも言われる、アリ vs.アントニオ猪木や、謎の類人猿オリバー君を仕掛けた康芳夫も定義上立派なプロデューサーと言えるだろう。アリを呼ぶためにブラック・ムスリムに入信し、マネージャーに近づいて話をつけたという。資金も独自の人脈を元に集め、興行を成功に導いている。
いいアイデアを持っている人はたくさんいる。しかし、それを具現化できる人がどれだけいるだろうか?強い意思と行動力がなければ、それを成し遂げられない。そういう「プロデューサー」になりたいものである。