Monthly Archives: 12月 2013

入国

入国

昨日の夜(日本時間で朝11時頃)無事アメリカに到着。苦手な入国審査も大した質問もなく一発クリア。ビザの強さを思い知らされる。ちなみに以前入国審査でストップがかかった際のやり取りは以下の通り。

1.入国審査中に「君、ちょっとそこで待ってて」と言われ、端っこのほうに15分くらい立たされる。(何も悪いことしていないのに周囲の視線が気になる)

2.荷物チェックルームのようなところに連れていかれ、トランクの中が隅から隅まで全て解放される。お土産の白い恋人のパッケージもカッターナイフでビリビリと破かれ、使い物にならなくなる。

3.その後さらなる別室に連れていかれ、同じ境遇の日本人に出会って慰めあう。ちなみにその日本人の方はサンフランシスコでチアリーダーのオーディションを受けるために来たらしいのだが、乗り換えの飛行機に間に合わず悲惨な状態に。

4.名前を呼ばれるまで30分くらい待たされる。

5.面接。来た理由などを再度問われる。

「何の仕事しているの?」
「○○という会社でゲーム作ってます」
「Oh!!○○!!」
横のブースにいた面接官も聞こえたらしく、身を乗り出して「Oh!!○○!!」
「名刺とか持ってる?」→たまたま持っていた名刺を出す→「ありがとう、行っていいよ。Good luck!!」→ようやく解放。

解放までにかかった時間は1時間半くらいだろうか。後になって考えてみると日本のゲームの知名度が高いことに救われた貴重な体験であったが、USCの面接を受けるために訪れていたため、入国拒否されて面接受けられなかったらどうしようと当時は戦々恐々としていたのを思い出す。

頻繁に訪れているとこのように入国審査で止められるケースがあるらしい。この面接のために訪れる前はキャンパスビジットで4か月ほど前に入国していた。ちなみに日本のパスポートでは一回に90日間のアメリカ滞在(旅行)が可能なのだが、90日間アメリカ滞在→日本に帰国→すぐにアメリカ再入国、などはほぼ間違いなく入国拒否されるので注意が必要である。

今回行きの飛行機では時差ボケ克服のため、30分ほどしか寝ずにひたすらゲーム「信長の野望」の最新作を遊び、ちょうど天下統一した頃に「間もなく到着」のアナウンスが。その後家に到着して12時間睡眠し今に至る。こちらは現在朝の11時頃。さて、シャワーでも浴びて買い出しに出かけますか。

出国

出国

あっという間に10日間が過ぎ、ただいま羽田空港でまもなく飛行機への搭乗が始まる。家族、友達、ゲーム業界の関係者含め色々な方に会えて、充実しつつもとても骨休めができた10日間であった。年末の忙しい時間を使って会ってくださった皆様、ありがとうございました。

次に日本に戻るのは早くても半年後。始めの半年間は正直授業のキャッチアップで精一杯だった。これからの半年間は今やれること、やるべきことを全部こなしていけるような攻めの半年間にしたい。

ロサンゼルスはそろそろ夜が明けるころ。まだみんな寝ているかな?着いたらまず何をしようか。そうだ忘れていた敷き布団を買いにいこうっと。

浦島太郎

浦島太郎

一昨日の夜11時頃、日本に一時帰国。今日は風邪を引いてしまったので家で療養中。一日経ってようやく慣れてきたが、半年異国の地にいて帰ってくるとなんとも言えない不思議な感覚に襲われる。電車の中には見たことのない商品の吊り革広告が溢れているし、家の近くが空地になっていて元々何があったのかも思い出せない。日本に関しての情報が遅れているので、友達と飲んでいる際の世間話に一部ついていけなかったりする。ちょっと大げさだがプチ浦島太郎になった気分だった。

気づいたことを覚えているうちに書き留めておこうと思う。

・電車が便利
ロサンゼルスでも最近よく電車を利用するのだが、本数が少ないので乗り継ぎが一回あると15分くらいのロスになったりしてフラストレーションが溜まる。ホームに着いたらほぼ待たずに電車が来る日本の電車は大変便利である。

・東京は超都会
ロサンゼルスの「栄えている一角」と比較しても、東京の都心部はどこもかしこもより高く巨大なビルがびっしりと立ち並び、次元が違う規模の超巨大都市であると実感。ロサンゼルスの面積は関東平野ほどもあり、人口は東京の3〜4分の1程度であるので、東京のほうが密度の高い都市であるのは当然と言えば当然なのだが、改めてその凄さを思い知らされる。それなのになぜかロサンゼルスの家賃が高いのが気になる。。

・刺身が美味しい
ロサンゼルスでもSushi Genなどの有名店は比較的刺身が美味しいと思っていたが、久しぶりに日本で食べてみると全然違った。鮮度というか、プリプリ感が全く違う。プリプリっとしてジュワジュワっとする。海水温の差か、釣ってから提供するまでの時間差によるものだろうか。

・日本人しかいない
どこを見ても一つの人種しかいないということが逆に奇妙に感じた。単一民族国家ではなくアメリカのように様々な人種の入り混じっている社会のほうが、遠い人類の未来を考えてみると自然な姿なんだろうなぁと思う。

全然アメリカと関係ない話だが、「浦島太郎宇宙人説」というのがあるらしい。「浦島太郎」は実話であって、助けた亀が実は異星人、竜宮城が比較的太陽系に近い惑星であったとすると、色々と辻褄が合うとのこと。浦島太郎が光速に近い速さで竜宮城(近くの惑星)に行って戻ってきたとすると、地球にそのまま住んでいる人と比べて浦島太郎が感じる時間の流れは遅くなるので、ちょっと遊んで帰ってきたときには地球では何百年も経っているというわけだ。よくよく考えると「浦島太郎」はかなり謎めいたストーリーなので、実話だったのではないかと妄想を膨らませるとなんだかロマンがあって素敵である。ただし玉手箱を開けると老人になる、という謎は解明できていない。

日本人

日本人

現在USC Marshall School of Business一年目の日本人は3人である。2年目に至ってはたったの一人しかいない。入学前は日本人が少ないことをとても不安に感じていたが、今となっては逆に非常に良いことだったように思える。

3つのコア(日本で言うところのクラス)があるため、コア毎の日本人は一人づつである。そのため、もちろんコア内で日本語で会話することはない。恐らく日本人の多い学校では日本人だけで固まってしまうことが多いのではないかと予想する(韓国人や中国人は人数が日本人と比較して多いので、同じ国だけで固まって行動していることが多い)が、USCではそもそも固まるだけの人数がいないため、基本的にアメリカ人(アジア系のアメリカ人が多め)とお出かけすることになる。もう日本人一人で外人達とお出かけしても心細いと思うことはない。

コアでも外でも基本的に英語漬けとなり、英語に慣れるという意味で非常にいい環境であるし、アメリカの文化に溶け込むという意味でもこれ以上ない状態だと思う。でも発音だけは変な日本式の発音が染みついてしまっているのでどうにもならない気がする。こないだ日本人R氏の3歳の娘(半年しか英語環境にいない)に会った時にびっくりするほど英語の発音が良くて悲しい気持ちになったのはここだけの話。

休みに入ってから海外ドラマのシャドーイングをしているのだが、よく会話で出てくる表現が出てくるので、用法や意味の確認に非常にためになる。4か国語をネイティブばりに話すJ氏のおススメ勉強法は確かに役に立ちそうだ。休みの間に英語をレベルアップしてみんなを驚かせることにしよう。

次回はきっと日本からの更新。

ソーシャルゲームの今

ソーシャルゲームの今

昨日再び熱い友人と共にUSC卒業生、在校生ベンチャー向け施設である「Incubatrix」を訪れた。選考を通過すれば7,000ドル無償で提供される上、施設内のスペースが自由に利用できるようになる。いい機会なのでちょっと真面目にゲームの会社をスタートしたらどうなるだろうかとシミュレーションしてみることにした。

まずソーシャルゲームの現状について。ほんの少し前までウェブ上で動くゲームが主流だったが、今はiPhoneやAndroidの上でアプリケーションとして動く、いわゆる「ネイティブ」と言われるタイプが主流になってきた。それに伴ってよりゲームはリッチ化が進み、1億円くらいは最低予算がないと現状のトップランカーと戦うのはなかなか厳しい状況である。7,000ドルでは全然足りない。それでもプレイステーション用ソフトなどと比較すればかなりコストは低いのだが、コンシューマゲームは過去の実績から売上本数がある程度読めるのに対し、ネイティブアプリはランキング上位のごく一部に仲間入りできなければ元本回収すら厳しいのではないかと思うほど「ゼロサムゲーム」の状態である。パズドラのガンホーですら、パズドラ以外にヒットらしいヒットは皆無なのだ。

ゲームメーカーからしてみれば、「勝負をかけないと生き残れない、勝負をかけても十中八九死ぬ。」という非常に厳しい状況であると言える。DeNAがゲーム会社からの脱却を宣言したのは、ある意味経営上正しい選択だろう。

そんな中仮にゲーム会社を新たにスタートしたとして、果たしてうまくいくだろうか。一番大きいのは資金調達の壁。一億円も十中八九負けるギャンブルにベットしてくれる人なんかいるんだろうか。USCのクラスメートをチラチラ見る限りは多分いる。しかしながらギャンブルと分かっていながら資金提供のお願いをするのはなかなか勇気がいるものだ。

そこで、全く新しいタイプの低リスクモデルを考えてみることにした。

「①キャラクターなどの資産を利用してゲームを作り世に出したい会社」>>資金提供>>「②プロデュース専門の会社(開発・運営を管轄)」>>外注>>「③複数の開発会社」

②の部分を切り出して会社化する、というのはどうだろうか。①+②=元々私がいた以前の職場そのままで、そこから①だけ取り除くことにする。

フリーのプロデューサーに近いかもしれない。映画業界ではよく聞くが、ゲーム業界でフリーのプロデューサーというのはあまり聞かない。

①からこんなゲームが作りたいという要望と資金提供を受け、それから開発会社に仕事を発注することで理論上はキャッシュサイクルがマイナスになるためリスクはゼロに近くなり、元手も必要なくなる。お金を払う前に開発会社のラインが押さえられるのかという問題はあるが、基本的に必要なのは営業努力だけ、資金面のリスクは全て①が負うことになる。開発費の中抜きをする形になるため、低リスク・低リターンのモデルである。

「ソーシャルゲームの先端を走る日本のゲーム会社で御社のキャラクターを使ったゲームを開発し、ワールドワイドに展開しませんか?今なら2年前と比べて日本円が30%もお安くなっております!もちろん完成したゲームの権利は全て御社のもの!」といった口説き文句で乗ってくれるアメリカの会社があるだろうか。ふーむ、今あるネットワークを使ってトライしてみる価値はあるかもしれない。

そんなこんなで一時帰国の日を迎えることになった。日本に帰っても色々とキャリア関係の宿題が山積みなのでネットカフェあたりに籠ることになるかもしれない。その合間にいくつか開発会社を回ろうかと思っているので、ちょっとこのアイデアについても話を聞いてみようかな。

円安

円安

1ドルが103円を突破し、留学生にとってはなかなか懐事情が厳しい状況が続いている。では果たして今後は円安になるのだろうか。それとも円高に戻る?ファイナンスの理論上は、長期的にはまず間違いなく円高に振れると思っていいだろう。

通貨の価値は、毎年インフレ率によって目減りしていく。翌年のドルの価値は円換算で計算すると(現在のドル円レート)/1+(アメリカのインフレ率)―(日本のインフレ率)であり、IMF – World Economic Outlook Databases (2013年10月版)によれば、アメリカのインフレ率2.08%と比べ、日本のそれはマイナス0.04%である。つまり日本円と比較してアメリカドルは毎年2%程度価値が目減りしていっている。ドルのタンス預金は禁物である。

現在アベノミクスではインフレ率の目標(インフレターゲット)を年間2%に据えている。マイナス0.04%からの目標達成はなかなか困難であるが、仮に2%を達成したとしてもアメリカのインフレ率2.08%と比べて低いため、徐々に円高は進行していくことになる。長期的なスパンで考えた場合、日本経済が崩壊してハイパーインフレでも起きない限りはまず間違いなく円高に振れると思っていい。現在円安になっているのはアベノミクスの登場によって将来のインフレ予測(≒円の将来価値)に変化が生じたため、一時的な揺り戻しが起きているに過ぎない。

ただし、この予測を元にFXで儲けようと思ってもうまくいかない。「スワップポイント」と呼ばれる金利格差ボーナスのようなものが存在し、金利の高い通貨(ドルなど)を売り金利の安い通貨(円など)を買い保持し続けると、金利格差の差額分がマイナスになるためボーナス分を支払わなければいけないのだ。世の中よくできているものである。

タンス預金なら、インフレ率マイナス0.7%のスイスフランあたりをおススメします。

航空券の予約が完了

航空券の予約が完了

先週ついに5か月間お世話になったエアーベッドが「ボフッ」という悲鳴とともに穴を開け、お亡くなりになった。というわけで今は割れた風船の上で寝ている。ちょっと腰が痛いので、明日あたりにマットレスか敷布団を買いに行く予定。

本日日本へ一時帰国するための航空券を予約したのだが、運良く直行便で1,100ドルという格安の往復チケットを確保できた(デルタ航空)。基本的に航空券は数か月前に予約すると安く確保でき、直前になると価格が跳ね上がる。なぜこういった現象が起きるのかご存じだろうか。オペレーションの授業で習った内容のおさらいをしたい。

例えばお客様の種類として、1.「一般旅行客」2.「ビジネスマン」の2種類が存在すると仮定する。

<仮定>
1.「一般旅行客」…プライスセンシティブ(費用をとにかく抑えたい)であり、かつ休みの日は数か月前に分かっている。
2.「ビジネスマン」…費用は会社持ちなので気にしない。直前で出張が決まりギリギリで予約する傾向がある。

この場合、同一価格で航空券を提供し売り切ってしまうよりも、例えば2倍の価格の席をある程度確保しておいてビジネスマン向けに直前で解放したほうが、トータルの利益が最大化できるのだ。「価格を気にせず購入するだろう人の数」は、過去の統計から公式と標準偏差を用いてもっとも利益が最大化されるように計算することが可能である。実際はもっと細かくお客様を分類し、少しずつ価格が変動していく仕組みになっている。

ただしこの手法を使うと、需要に合わせて価格を引き上げるためにどんなに繁忙期であっても席が埋まらないことがある。安い均一価格で全員に航空券を提供するよりも当然売れ残るリスクは高まるのだ。そのため、席が埋まる見込みがなくなってくるとある段階で再び安い価格で航空券を放出することになる。私が運よくゲットできたのはそんな一枚。

理論的には新幹線などもこの手法で利益をぐぐっと高めることが可能であるが、より公共性が高い交通機関のため導入されていないのだろう。居酒屋のハッピーアワーなどもこのオペレーションの手法を利用していると言える。

授業を通じて世の中の事象が少しずつ理解できるようになってくるのはなかなか面白いものだ。

はじめての麻雀

はじめての麻雀

期末試験が無事終わり、ほっと一息。試験期間中は朝2時に起きて学校で勉強→試験→昼食→昼寝→勉強→晩飯→就寝→朝2時に起きる…という一日に2回寝る2部構成となっていたため、昼食後なんだかやたら眠くなってしまう身体になってしまった。

とはいえ、試験期間は案外レギュラーシーズンと比べて気楽だったりする。通常の授業がある期間は毎日何かしらの提出物に追われ、グループワークがあり、プレゼンテーションがあり、いつもどこかストレスとプレッシャーを感じながら過ごしてきた。試験は出来がよかろうが悪かろうが自己責任なのだが、グループワークは自分の失敗によって誰かに迷惑がかかるため気が抜けず、さらには「これでいいでしょ」という線が非常に引きづらいため無限に時間を消費してしまうのだ。グループワークが多いと言われるケロッグビジネススクールはかなりしんどいプログラムなのではないかと予想。

ところで先日試験が終わった記念にこちらに来て初めて麻雀をやったのだが、中国ルール、台湾ルール、日本ルールと全く違っていてもはや別のゲームになっていた。日本のルールに慣れているものからすれば「日本のルールが絶対一番面白い!!」と思うのだが、日本のルールでプレイしたところ

「なんでリーチを宣言しなきゃいけないの?つまんない(リーチは日本の麻雀特有の文化)」
「ポンチーが気楽にできないのはストレス溜まるね(台湾ルールだといくらポンチーして役が無くてもあがれる)」
「捨て牌綺麗に並べなきゃいけないの?Sooo Japanese!!!(超日本っぽい!!)」

など非難轟々であった。以前麻雀のゲームをリリースした際世界大会なども企画案に上がっていたのだが、統一ルールを作るのは非常に難しいだろうと改めて実感。

今日はこれからキャリアサービスオフィスに行って夏休みのインターンシップについて相談予定。休みとはいえアメリカに合法的にいられる貴重な時間を大切に使っていきたい。

バタフライ・エフェクト

バタフライ・エフェクト

ブラック・ショールズモデル(マジカルミステリーな金融の数式)を思いついたブラックさんとショールズさんにちょっぴり恨みを感じつつ明日のファイナンス期末試験の勉強に苦戦しながら、ふと今日(アメリカ時間で12月8日)はジョン・レノンの命日だったことに気付く。

中学2年生の時、友人S氏が文化祭の後夜祭の待ち時間にウォークマンのイヤホンの片一方を貸してくれてビートルズの「Help!」を一緒に聞いたのだが、そんな些細なことで私のその後の人生は全く違うものになった。

人生とは不思議なもので、ほんのちょっとしたきっかけでその後の人生が全く違うものになったりする。バタフライ・エフェクトとは「ある場所での蝶の羽ばたきがそこから離れた場所の将来の天候に大きな影響を及ぼす」というカオス理論を簡単に説明した例えで、「風が吹けば桶屋が儲かる」と同じ意味合いである。

人生のターニングポイントを以下時系列にするとこんな感じ。

1. ビートルズのHelp!を「たまたま」聞いてギター(6本の弦は多すぎて大変なのでその後ベースに転向)を始める
2. 音楽をやっていたことがきっかけでK氏という同じくギターをやる友人と仲良くなる
3. 大学でK氏の激しい誘いによりスノーボードサークルに入る
4. そのスノーボードサークルでできた他の友人が某社に入社し、某社に興味を持つ
5. あまり考えずに某社に入社してしまう
6. 社内で現在の妻と知り合う
7. 妻の薦めでゲームの部署に異動&結婚
8. もっと高予算のゲームが作りたくなって(+その他諸々の理由で)アメリカ留学←イマココ

私の人生の場合1がバタフライ・エフェクトを起こしていて、「たまたまウォークマンを持っていたS氏と後夜祭での待ち時間」がなければ、その後の2~8のターニングイベントは発生せず、全く違う人生になっていた。

さらに遡ると、祖父の母は「スペイン風邪により亡くなった曽祖父の妻」の後妻だそうで、スペイン風邪が流行していなかったら私はもちろん、祖父や母も存在すらしていない。歴史の授業でしか知らないスペイン風邪に感謝しないといけないのは不思議な気分だ。

そんなことをぼんやりと考えながら、きっと後で思い返すとこの留学は今までにないほど大きなターニングポイントになるのだろうと考えてみる。それも多分私だけではなく。さぁて今日の現実逃避はこれくらいにして、ブラックさんとショールズさんの考えを紐解くことにしましょうか。