アメリカの貧富の差を考える その1‐学歴

アメリカの貧富の差を考える その1‐学歴

こちらで外を歩いていると1日に3回はホームレスからアグレッシブに物乞いをされる。温室育ちの日本人からすると結構ショッキングである。

アメリカと言えば自由の国。平等に機会が与えられ、実力のある者が富を掴む。いわゆるアメリカンドリームのイメージがあるのではなかろうか。実際には、スポーツ選手ならいざ知らず、そんな夢物語は、その他大多数の学校→就職というルートにおいてはほぼないと言っていいだろう。なぜなら、アメリカには最大の権益「学歴」というものがいかんともし難い壁として存在するからだ。

まず大学受験について。アメリカでもいい給料の仕事を得るためにはいい大学に行き、さらにはいい大学院を卒業する必要がある。アメリカの大学受験は日本で言うところのAO入試が一般的。すなわち、学校の求める人物像と照らし合わせて合否を決定するのだ。主に「SAT」と言われるセンター試験のようなものの点数と、志望理由や自分の実績を書き記した「エッセイ」というものが判断材料になる。

「SAT」は日本の受験生からしてみれば「え、こんなに簡単なの?」というレベルの問題ばかり。もし日本語で解けると仮定するなら、日本の優秀な高校生ならちょっと対策すれば楽勝で足切りを突破できるだろう。

「エッセイ」については、実は大したことのない実績をピッカピカに磨き上げてエッセイに落とし込んでくれる、エッセイカウンセラーという職業が存在する。ゴーストライターに近いと言ってもいい。当然エッセイカウンセラーは実績に応じて費用が異なり、ランクの高い優秀なカウンセラーほど費用も高い。受験する学校の数によっては軽く百万以上の費用がかかるだろう。戦っているのはプロ達であって学生ではないのだ。誤解を恐れず言い切ってしまうと、アメリカの大学受験は「札束による殴り合い」の様相を呈している。(勿論エッセイカウンセラーに頼らない学生もたくさんいるが、余程文章力がなければプロの文章と同じ土俵で戦うのは不利と言わざるを得ない)

大学院受験、例えばMBA受験においては、職務内容や仕事上の実績も勘案されるのでまだ実力を発揮して土俵に立つことも不可能ではない気がする。しかし、五十歩百歩の高校生時代の経験を比較して正直何が分かるというのだろうか。結局お金の力で決まってしまうのではないか。話の本線から外れるが、アメリカ人の高校生がボランティアに熱心なのは、クラブでリーダーを務めるのは、いい成績を取ろうとするのは、エッセイや履歴書に書くためという動機が大きいのだ。

次に学費。ハンパじゃなく高い。学部でも年間で400万円とかかかる。もちろん払えるだけの財力の証明が必要。貧乏人お断りである。大学がオファーするローンを組むこともできるが、大学も不況下で無制限にお金があるわけではなく、枠は限られている。金利も日本では考えられないくらい高い。さらにいい仕事を見つけるために大学院にも行くことを考えると、無事に払えるのは極々一握りの人達に限られてしまう。

この前以下のような記事を見つけた。

「ハーバードはどうしてホームレス高校生を何人も合格させるのか?」

http://www.newsweekjapan.jp/reizei/2012/06/post-445.php

このような記事を鵜呑みにしてはいけない。ホームレスのエッセイ、人生経験が「たまたま」目立ち、きっと大学の評判もあがるだろうから入れてみよう、となっただけであり、極々稀なケースである。100人同じレベルのホームレスが受けても受かるのは多分一人だけだ。日本で貧しい家庭に育ちながら頑張って勉強して東大に入学する苦学生の方がよっぽど多いだろう。

何が言いたいかというと、日本の受験システムはアメリカのそれに比べて遥かに平等だということ。アメリカはAO入試が中心のために金のパワーが不可欠になり、多くの場合金持ちの子しかいい大学に入れず、金持ちの子は金持ちに、貧乏の子はずーっと貧乏のままという構図が出来上がってしまった。

日本でも大学生の両親で平均的に最も金持ちなのは東大の学生の親であり、親にお金がないと子供を勉強する環境に置きづらいという現実は存在する。それでもなお、アメリカと比べ遥かに平等に近いシステムであり、やる気があれば人生の逆転は可能なのだ。

それからもう一つ。日本の受験生の知識レベルは世界でもトップクラスに高いと思う。ハーバードに受かった学生が日本の受験生と同じ土俵で東大を受験して合格するのは難しいだろう。もっと日本の受験生は自信を持っていいと思う。お腹が減ったのでこれから納豆を食べます。

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