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英学成らざれば切腹も辞さず

英学成らざれば切腹も辞さず

家賃の一件は無事解決。一応アパートを仲介してもらった不動産屋にも間に入ってもらい、無事支払いがされたことを確認した。遅延金の請求が残っていたので、そちらも連絡して取り消してもらった。小切手を無くし(後で見つかったようだが)、さっさと金払うか出てけ!とドアに不幸の手紙を貼付けたことについての謝罪は全くなし。いかにもアメリカらしい。

ところで全く話が変わるが、江戸時代の英語通訳の覚悟は、「英学成らざれば切腹も辞さず」だったそうな(「日本人に一番合った英語学習法」より)。切腹はとっくの昔に消えた文化だが、これ以上ないコミットメントの仕方である。本気でその覚悟で英語学習に望めば、できるようにならないはずがない。教材が乏しい時代にどうやって勉強し英語を身につけていたか不思議に思っていたが、なんだか妙に納得してしまった。

これほど優秀な教材に溢れる世の中で、学習に時間をかけながらも日本人が英語を使いこなせないのは、このような覚悟や、そこに至る動機が足りないからだと思い知らされる。自分への戒めの気持ちも込めて。メモ。

世界一の学校はどこ…?

世界一の学校はどこ…?

世界一の学校はどこ?この質問に答えるのはなかなか難しい。ハーバード?スタンフォード?それとも東京大学?もし良い学校の基準が「高い割合で優秀な人材を排出していること」であるとするなら、日本のあの学校が世界一に輝くだろう。

開校期間約2年(正式に学校として認可されていたのはわずか半年)、卒業生92人、うち内閣総理大臣2人、それ以外の大臣4人、県知事4人、計30人以上が各界で活躍し歴史に名を残す超有名人…。

特徴①:入学資格なし。年齢制限なし。希望者全員合格。

特徴②:スーパーフレックスタイム制。朝でも夜でもいつ来てもOK。24時間体制。

特徴③:授業は主にディスカッション形式。

〈ヒント〉主な卒業生:伊藤博文、山縣有朋、久坂玄瑞、高杉晋作

答えは、かの吉田松陰が教えた「松下村塾」。幕末の動乱の時期にあった学校ということを差し引いて考えても、松蔭の「奇傑の人材は必ずここから排出する」の言葉通り、異常な優秀人材輩出率であり、これは他に類をみない。ここに今の教育の改善すべき点、その解決策が多くあると思う。

松下村塾で有名なのは特徴③のディスカッション形式の授業であるが、本当に重要なのはそこではなく、それを取り入れたところでいい教育になるってもんではないと思う。入学に際して松蔭の面接があるのだが、以下はそのやり取りの一例。

松蔭:君は何のために学問をするのか?

入学希望者:商人になるのは嫌です。医者になろうと思います。

松蔭:なぜ商人は嫌なの?

入学希望者:金持ちに頭を下げ、へつらわねばならないから。

松蔭:へつらわねばいけないのは医者も同じだよ。

入学希望者:でも人は医者には頭を下げます。

松蔭:それは命を預かる商売だから。商いが本当に人のためになれば客は喜んで頭を下げる。君が日本中の商人を変えていけばよい。

ビジネスマンが今後尊敬されるようになる…と松蔭が思っていたかは別にして、私はこのやり取りに真に重要な松下村塾の教育があると思う。つまり、松下村塾とは「あり得ないくらい高い目標を持たせ」、それを実現するためにはどうしたらいいか、塾生(身分、バックグラウンドの全く違う人たち)との「ディスカッションを通じて思考を深めていく」という学校だったのではないか。何を何のために学んでいるかよく分からないまま時間が過ぎていく現代の教育と比べ、まず志を持たせ学ぶ理由を明確にするということは非常に重要なことであると思う。知識をつけるのは目標達成のための手段に過ぎないのだ。

以前今も残る松下村塾の校舎を訪れたことがある。本当に小さい掘建て小屋。こんなところで勉強していたとは凄い。どこか忘れたが、近くにビビる大木の「私は松下村塾の心の卒業生です」という書き置きがあった。そうか、その手があったか!これからは私も心の卒業生を勝手に名乗らせていただこうと思う。

今日のロサンゼルスは珍しく曇り。これから自動車免許の筆記試験を受けに行ってきます!