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風と共に去りぬ

風と共に去りぬ

エンターテインメントが世界を変える。ARG(現実代替ゲーム)と呼ばれる分野で活躍中のゲームデザイナーJane McGonigalがTEDでおこなった講演”Gaming can make a better world”は、結構な評判だったらしい。

古代からゲームは社会的な目的に利用されていた。古代リディアでは飢饉の際、食事をした翌日は、皆で食事をせずゲームをして飢えを忘れた。18年間続いた飢饉の後、王は最後のダイスゲームをした。このダイスゲームで負けた人々は国の外を開拓しにいく。そして国内には飢えなくて済む人数の国民だけが残る。そして、その後国を出た人々が、後のローマを建国したのだという。

Jane McGonigalは、リディア国民がこの18年間でゲームを通じて仲間と協力することを学んだことが、次の文明を生み出す原動力になったのではないかと仮説を立てた。現代でもオンラインゲームにおける仲間と協力して一つの目標達成する、ということは実社会に応用可能であると考えたJane McGonigalは、石油が不足した未来を題材にしたゲームを作った。仲間と協力して目標を達成することに長けたゲーマー達が現実社会に目を向けることで将来の問題を解決できると考えているようだ。

私はこの考えに全面的には賛成できない。石油不足に立ち向かうゲームなんて面白くないから誰もやらない。実際3年間で1,700人しかプレイしなかったらしい。ゲームは基本的には娯楽であり、より重要な仕事や勉強のストレス解消手段として存在すべきである。ただ、クリエイターがゲームを通じて何かの思想を発信していくことは可能で、考え方は面白いと思った。

前置きが長くなったが今回は、近代でもそんなエンターテインメントがもしかしたらほんの少し世界を変えていたのかもしれない、そんな話。

第二次世界大戦中、大学生だった祖父はとあるアメリカの映画を観る機会を得た。以下祖父の日記より抜粋。

「ある時、法文経25番の大教室で、当時敵国であったアメリカの名画「風と共に去りぬ」が学生達の手で上映されたことがあった(日本軍がマニラ占領のときに入手)。私共学生が初めて見たカラー映画であり強烈な印象を受けた。途中で空襲警報のサイレンが鳴って中止になったのは残念であった。日本との技術の差を痛感し、とても戦いで勝てる相手ではないと思った。」

祖父が「風と共に去りぬ」を観た正確な日付は記されていない。マニラ陥落は1942年1月2日だが、「空襲警報のサイレンが鳴って」とあるので、アメリカがサイパンを占領してB29による爆撃が激しくなった1944年の8月以降だろうか。報道規制がされる中で、こうしたエンターテインメントを通じて一般市民が負けを確信していたというのは興味深い。こういったことが多少なりとも戦況に影響を与えることがあったかもしれない。

私は以前この話を祖父から口頭で聞き、興味が湧いて「風と共に去りぬ」を観た。もちろんカラー映像については、祖父が感じたような衝撃はなかった。しかし、南北戦争中の日常生活を通じて垣間見えるリアリティ、主人公のスカーレットが苦難に立ち向かう姿勢から受けた感動は、きっと祖父が若かりし頃に感じたものに近いものがあった。

エンターテインメントに携わる者であれば、時を超えて人々に感動と影響を与えられる、「風と共に去りぬ」のような巨大なエンターテインメントを、自らの手で作り出したいものである。